コラージュニスト沙織です。
今日は冬至。陰が極まる日だからこそ書き残しておきたいことを記します。
テーマは「罪悪感」
だれもが胸の奥に抱いたことのある重たい痛み。
善良な心の裏返しのような、至らない自分に対する自責の念。
内容は人それぞれだけど、これに長年苦しんで重たくなっている人はたくさんいると思うし、もれなくわたしもその一人だった。
けど去年の冬至にある気づきがあって、それ以来、罪悪感を感じることがあっても引きずらなくなっていった。
それはね、身近な人に「何もしてあげられなくて申し訳なかった、さぞつらかっただろうに」と不憫まじりの罪悪感で謝罪されたときに湧いた猛烈な違和感が教えてくれた。
『罪悪感ってなんて失礼なんだろう』
『罪悪感なんていらない!』
人が幸せになるのを阻む一番の重りは「罪悪感」といわれているけど、そもそも罪の意識を抱いて自ら幸せにストップをかけるだなんて傲慢だよね。
わたしたちはみんな幸せになるために生まれてきたのに。幸せであることがデフォルトの設定で生まれてきたのに、なぜ逆走するのか。
「罪悪感」の反対語は「感謝」って知ってた?
同じ出来事でも感謝に昇華できるのに、あえて罪悪感を選び続ける理由は何だろう?
世間体的に「申し訳ないことをしてしまったことへの反省アピール」ではないのか。
なんなら、いま幸せを選ぶ勇気がないことを罪悪感の対象のせいにして逃げてはいまいか。
大切な人に「何もしてあげられなくて申し訳ない」と罪悪感で謝られるのが不快な理由がやっとわかった。
罪悪感の対象にされることで、その人の幸せの足枷になりたくないし、何より勝手にわたしを不幸扱いするなと思う。
あなたの周りにいる人たちは、あなたにとって「喜びの存在」で居たいんだよ。
「苦しみの存在」にしないでくれよ。
本当に申し訳ないと思うのなら、罪悪感に逃げずにホンキで感謝を選ぼうよ。
そう強く思った。
もしいま、何かしらの罪悪感から逃れられずに苦しんでいる人がいたらよく聞いてほしい。
一番の罪滅ぼしは、その出来事について感謝を見出すこと。そして見出した感謝で少しでも軽くなること。
神様はあなたを罰したりするだろうか?
神様が存在するとしたら、どんな出来事においても与えようとしているものは同じじゃないかな。
「愛と赦し」
赦していないのはあなただけ。
もうとっくに、いや最初から、罪なんてなかったんだよ。
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