こんにちは、コラージュニスト沙織です。
ブログ内で徒然エッセイを日々更新しております!
今宵は満月。
「生命力」
〝私はもう誰が何と言おうと、自分の道を生きる〟 そう決めた初夏のある日、ぶわっと燃えたぎる炎のようなエネルギーが肚の底から湧き上がった。 これは自分の中にある男性的なエネルギーであり「生きる力」そのものだと感じた。 この感覚をすぐに絵として具現化せねばならないという衝動に駆られ、肚にじっと意識を集中させると、真っ直ぐにこちらをみつめる獅子の瞳が脳裏に焼きついた。 紅き炎と蒼き炎、静と動、月と太陽、陰と陽、どちらの要素も兼ね備えた獅子の姿だ。 湧き立つままに夢中で図案を起こし、コラージュしていく。 何も考える必要はなく、閃くままに手が勝手に創りあげていくような不思議な感覚だった。 時々こうやって、何かに突き動かされるように青写真を具現化することがある。 そういう作品は迷う暇がないので、通常の3倍速位のスピードで段取り良く仕上がる。 この状態のことを私は「ゾーンに入る」と呼んでいる。自分という存在が消えて世界と一体になり、全てをゆだねているような感じになる。無我の境地でありながら至福の極みである超集中した状態のまま、燃ゆる獅子を一気に描き上げた。 作品名は『 生命力 』 完成した獅子と対峙した時、これが自分の中に流れている根源的なエネルギーの姿なんだ、と思った。 私は可視化したかったのだ、内在している「魂」の正体を。
「生命力」を描く少し前まで、私は人間関係においても画業においても、進むべき方向性に迷いが生じているスランプの時期だった。 自由な表現ができる唯一の手段だった絵も、活動の幅が広がるにつれ周囲の声に影響され、求められるものに応えなければならないというプレッシャーと息苦しさで本来のパワーが出せずにもどかしい日々を送っていた。 作家なら誰もが一度は通る「好きなことをプロとしてやっていく難しさ」に直面していたのだ。 せっかくゾーンに入って描いた力作も、卑屈さが発動して何枚も処分した。 ハタから見ると順調な道のりをたどっているように見えたかもしれない。けれど心の底で「もういやだ、それじゃない」という声が徐々に大きくなって溢れていき、葛藤によりますます描けなくなるループに自己嫌悪を重ねて悶えていた。 突破口になったのは、上野の東京都美術館で開催していたクリムト展へ足を運んだこと。子供の頃から最も敬愛している芸術家だ。
クリムトが描く女たちには美しさと醜さに境目がない。「強烈な性の至福」と「死の影がチラつく絶望」が対等にマリアージュしている。 ああそうだった、これが好きなんだった。 光の強さだけ闇も存在するという自然現象を静かに受容して赦し、運命の流れに身を任せて「いま」を謳歌するしたたかな生命エネルギーに、いつも私の魂は歓喜するのだった。 圧倒的な真理の表現に魅せられて茫然とするうちに、いつまでも人目と体裁を気にして燻っている自分がちっぽけに思えて恥ずかしくなった。 帰ったら今度こそ魂の表現をしよう。 強制的に原点回帰のスイッチが入って目が覚めた。 誰にも賞賛されなくても、誰に何を言われても、瞬間ごとに最善を尽くして「陰陽統合の真理」を表現をしていく覚悟を決めた時、長いスランプからあっさり抜けていった。
「生命力」が完成して最初の展覧会でお披露目した際は、力強い獅子を前に多くの人が目を背けていた。 いつかこのエネルギーを受け止めてくれる運命の人が現れますように…と密かに願った数ヶ月後、全く別の展覧会場で、まるで獅子を生き写しにしたかのようにエネルギッシュで陰陽両極を内包している男性が迎えてくれることになった。 あの時の衝撃と嬉しさったら…! 心のままにゾーンに入って生まれた作品には、必ず引き合う「運命の人」が存在することを燃ゆる獅子がはっきりと教えてくれた。 その経験が今でもずっと自信につながっており、再び迷ったりスランプに陥ることがあったとしても、原点に立ち還るための確かな標になっている。
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